
HSPと毒親の合わせ技で八方塞がりな社会不安障害と鬱を併発した宇治さん
京都の悩み相談-人生相談室です。
京都府は宇治市から来られた宇治さん(仮)男性29歳が、とにかく問題山積で大変です。
ウチに通い始めて3年ちょっとになりますが、すぐに行く先の心療内科や精神科で不安なり不満を持ってしまい、通わなくなってしまう過度な心配性というか疑心暗鬼のかたまりのような考え方になってしまっていて、ウチに初めて来てくれた約3年半前から、人付き合いも仕事も趣味も何も続いていません。
誰か・何かとの関係性が続いているのは家族以外にはウチだけだそうですが、問題は家族なんです。
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宇治さんは9歳の頃に両親が離婚。父親に引き取られ、父方の祖父母の家で育ちました。
しかし、父と祖父のスパルタがヒドすぎて、大変な学生時代を過ごしてきたそうです。
公務員である父親と祖父。当然のように「公務員を目指せ」と毎日のようにその話ばかり。
恥ずかしがりで人見知り、引っ込み思案な宇治さんにとってガツガツとテリトリー無視のようなガサツなお父さんとおじいちゃんに幼少期から苦手意識を持っていたそうです。
何をやっても100点じゃなければダメ。やるからには一番になれ、優勝しろ。そういう教育方針の父と祖父。
おばあちゃんは何も言わず、とっくに諦めている感じではあるものの宇治さんの味方という訳でもなく宇治さんには話相手や味方はいない感覚だったそうです。
※宇治さんの主観です。
先天性のHSPもあったと思いますが、それ以上に家庭環境が厳しすぎて宇治さんは心を閉ざすしかなかった流れもあったんだろうなと思います。
得意でない勉強を頑張り、大学には入ったものの、小学生の頃から友達付き合いが下手で仲良しができなかった宇治さんは中学でも高校でも大学でも一人ぼっちだったそうです。
イジメられたことはないものの誰とも仲良くしたいと思わなかったり、父と祖父が怖すぎて、何も言われたくないから何もしたくないという考え方で育ってしまったそうで、大学に入っても当たり前のように一人ぼっちでギリギリの成績で何とか卒業はできたものの宇治さんが思うには学生時代すべてに良い思いでは一つもないということでした。
そして、肝心の公務員への道ですが宇治さんは高校に入った頃から公務員へは進みたくないと思うようになったそうです。
理由は反発でした。
大人になっても全部を父と祖父に決められていくんだろうか。そんなの嫌だ。
そう思う宇治さんは公務員を毛嫌いするようになりました。
しかし、だとして。
無趣味で友達もいない宇治さんには進みたい道、やりたいことはなく、何も知らないまま何にも興味を持たずという冷めた子になってしまっていて、大学を卒業してからは近所のスーパーに就職しました。
「なんで?お前は何がしたいんや?今まで何をやってきたんや?俺の話を聞いてこんかったんか?ふざけとるんか?」
お父さんはキレました。
おじいちゃんもキレました。
おばあちゃんは知らん顔。
宇治さんは呼吸ができなくなり、救急車で運ばれたそうです。
過呼吸(正確には過換気症候群)ということで大事には至りませんでしたが、家族みんなが未経験だったことでかなり慌てたそうです。
しかし心配はしてくれず、父と祖父の怒りが増しただけと宇治さんは感じたそうです。
「公務員でなければ人にあらず」とでも言わんばかりに、父と祖父からの人格否定は学生時代より激しくなったそうです。
※この頃におばあちゃんに聞かされたのが、両親の離婚の原因はお父さんのモラハラと暴力が原因でお母さんは宇治さんを置いて離婚届を残して突然にいなくなったということでした。
宇治さんは幼少期から家族と住んでいる「自分の家」という場所に対して適応障害を起こしていたのです。
就職したスーパーでは、仕事を教えられても覚えられず、ちょっと叱られただけで内容に関係なく萎縮しすぎてしまい、誰とも仲良くなれず。
当然ですが続きませんでした。
そしてそれをまた父と祖父に死にたくなるほど責められる。
家から追い出されるように毎日ハローワークに通わされ、とりあえず仕事を見つけるものの、どこで何をやっても続く訳がなく、すぐに辞める。
その繰り返し。
4年後の26歳の夏には、アルバイトも就職も、求人が出ている限り家の近くは行き尽くしたという状態になったそうです。
当然ながら父と離れたい、祖父と離れたい、家を出たい。
そう思うけれども、お金が貯まらないし、仕事ができないし、生活力もない。
何より父と祖父を筆頭に人が怖い。コミュニケーション能力がゼロに等しいという自覚がある。
一人暮らしなんて成立できる自信がない。
死ぬ度胸がないから死んでないだけと宇治さんは言っていました。
今では、どこにいても何をしていても、何もしていなくても涙が出てくるそうです。
地獄のような人生だなと思います。
しかし、宇治さんなりに市の無料相談や弁護士への相談、警察への相談に何度も行ったそうですが、どこも助けてはくれなかったそうです。
というより、お金の工面や生活の場所や、現実的で具体的には助けようがなかったんだと思いますが、宇治さんにとっては「誰も何もしてくれない」と打ちのめされるだけだったそうです。
ただ、あまりにも心が空っぽになりすぎて違和感どころか異常性を感じたということでお父さんがウチに連れてきたのが最初でした。
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初めてウチに来たのが26歳の時。
今では「話相手は先生だけ」と言い宇治さんは笑う回数が増えてきているので、来てくれている意味は大いにあると思いますが
社会復帰というか、社会に出られるのがいつになるのか、そもそも社会人として生活していけるのか答えられないほど難しい状態だと考えています。
出来る限りのことをしたいと思い、お父さんと一対一で話して理解を求めたこともあるものの、お父さんは悪びれる様子もなく「アイツの今の状態はアイツが弱いからや」と言われてしまいました。
これは・・・どうしたものかと悩みました。
ただ、月1回ウチに来る料金はおじいちゃんが出してくれているのと、暴力や暴言があればウチに相談できる状態でもあるので
ウチに来るようになってからは父と祖父からの極端な暴言や暴力は激減しているそうです。
だとすればウチの存在意義はある。
けれども・・・
なにか、どうにかしてあげられないものかと考えています。
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気持ちよく解決してあげられることばかりじゃない現実を突きつけられますが、これからも全力で、出来る限りのことをしていきたいと思います。
京都の悩み相談-人生相談室でした。